女優や歌手・作曲家として活躍する
加藤登紀子さんが話題になっています。
加藤登紀子さんは反日だった?
『日本』という言葉を言うだけで
嫌悪感がすると発言?
気になったので調べてみました。
目次
加藤登紀子のプロフィール
【#ルネこだいら】
◆加藤登紀子コンサート~百歌百会~
2019年3月9日(土) 16:30開演
全席指定 6,000円
チケット発売:友の会11月30日(金)~、一般12月5日(水)~#kodaira #小平 #842fm #イマタマ #加藤登紀子 pic.twitter.com/oMEe3g8Z6W
— Sin_1_Kohyaman (@sin_kohyaman) 2019年1月22日
名前:加藤登紀子(かとう ときこ)
生年月日:1943年12月27日
出身:満州国・ハルビン市
血液型:O型
加藤登紀子さんは
旧満州ハルビンで生まれました。
そして満州引き揚げの際に
日本に帰国したようです。
加藤登紀子さんは東京大学に進学し
在学中の1966年に『誰も誰も知らない』で
歌手デビューしました。
当時、現役大学生の歌手デビューは
少なかったため世間に
衝撃を与えたようです。
現在は星槎大学共生科学科の
客員教授としても活躍しています。
加藤登紀子は夫・藤本敏夫と獄中結婚していた?
加藤登紀子が歌手デビューを
果たし活躍し始めた頃は
大学紛争の真っ只中でした。
全国各地で激しさを増していった時、
反帝全学連副委員長を務めていた
藤本敏夫氏と出会った加藤登紀子さんは
交際を始めました。
学生運動は、どんどん
激しさを増していき
警察からマークされていた藤本敏夫氏は
1972年4月に公務執行妨害等の罪で
逮捕されました。
懲役3年8カ月の実刑を
言い渡された藤本敏夫氏は
中野刑務所に収監されます。
加藤登紀子さんの周囲は
獄中にいる人との恋愛に
猛反対します。
しかし、加藤登紀子さんの
実母の淑子さんは
二人の恋愛を応援し続けたそうです。
そんな後押しもあって加藤登紀子さんは
ついに藤本敏夫氏と獄中結婚をしました。
二人の間には
3人のお子さんがいて
3人とも女の子です。
長女は1972年に生まれ、
次女は1975年に
三女は1980年に生まれました。
次女は、現在歌手として活動している
Yaeさんです。
本名は藤本八重さんと言うようですね^^
テレビドラマ挿入歌になった
『名も知らぬ花のように』は
母の加藤登紀子さんが作詞し
娘のYaeさんが作曲をしています。
藤本敏夫は肝臓癌で死去!
藤本敏夫氏は1981年に
多目的農園『鴨川自然王国』を
千葉県鴨川市に設立しました。
1999年には
農林水産省関東農政局の
諮問委員に就任します。
藤本敏夫氏は
その後の人生を農業に捧げ続け
2002年7月に肝臓ガンのため
死去しました。
加藤登紀子は反日で日本が嫌い?
そんな加藤登紀子さんですが
実は反日で日本が嫌いだったのでは
と話題になっています。
NHKさん‼️お仲間アゲが酷いです。全国放送で特集を組み画面右にテロップまで入れ特定の方の宣伝をしないで下さい。この加藤登紀子氏は『日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる。』と公言する反日であり、朝から気分が悪いです‼️ pic.twitter.com/SL3vVUljNj
— 小野寺まさる (@onoderamasaru) 2019年1月24日
『日本という言葉を発するときに、
たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、
その言葉から逃れたい衝動にかられる。』
この言葉は、
本当に日本が嫌いな人からではないと
出てこない言葉のように思いますね。。
加藤登紀子さんは歌手として終わっています。声量は無く音程もズレ気味。『紅の豚』の挿入歌のイメージでライブへ行けば落胆必至。昭和の映像で『知床旅情』を歌う彼女は日本の心を歌っていると感動しましたが反日思想の持ち主だと知り驚愕しました。
森繁久彌先生は草葉の陰できっと泣いてます。
— 璦子《Aico》 (@qqqa_appp) 2019年1月24日
加藤登紀子は反日。 #annm10
— 🐶青木 一夜子∴🇯🇵 (@JPN87875) 2019年1月15日
加藤登紀子さんの、日本を嫌悪する・・その根本の理由を聞きたいですね。頭の言い方なのだから明快に反日になった原因をわかりやすく伝えられるだろうかと。
まさか、戦後の洗脳された日本感とかではないですよね。それとも隠れ在日?それとも好きな男の言うままに洗脳されただけ?疑問です。— 番茶 (@94228531mma3) 2019年1月24日
先ほどの文章の
前後の文章がありましたので
ここに載せておきます。
『週刊朝日』に執筆していた
エッセイのようですね。
私が生まれてたかだか三十年だが、私自身の肉体も、私自身の観念も、私の日常生活も、数千年の歴史によって規定されているのだ、と恐ろしいほどによくわかる。
だから、日本というものを徹底的に知りたいという思いは、私の中に激しくつのってくるのだ。
しかし、にもかかわらず、日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる。
それは今や国家権力としての日本への抵抗感であることを越えて、現実世界のあらゆるところに顔を出してきているいやらしさである。
学生生活を共にした友だちが、しばらくぶりに会ってみると、のっぺりと太ったサラリーマンになっていて、ゴルフと麻雀の話しかしなくなっていたりする。そのことの中に日本がみえる。
勝手ながら、私は私の流儀で生きさせてもらいますという具合にさばさぱと大らかにやりたいものだと、つくづく思うのだ。
アメリカ合衆国の中に黒人たちの新アフリカ共和国が存在しているように、きっぱりと自立を宣言して、生きていけたら素敵じゃないか。
毎日くり返される日常を、ことごとく自分の流儀にかえていくことによってでもいい。もちろん、ことごとくというのは容易なことではない。
ただ、できる限り、今の消費体制と無関係になる努力Kokkaは必要みたいだ。たとえば、テレビのコマーシャルを絶対見ないというふうな頑固な浮世ばなれをしてみるとか・・・
加藤登紀子さんは、今も
現実世界のあらゆるところに
日本のいやらしさを感じるのでしょうか?
加藤登紀子さんの今後の発言に
注目していたいと思います。